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某少女物語 | 本崎 遥

 窓に目をやると、既に木枯らしの吹く季節になっていた。葉子が彼氏を作ると心に決めたのが年の初めである。もう十一ヵ月も経ってしまっていた。
 葉子はひとつ溜め息をつき、英文が書き散らしてある黒板に目を戻した。
『もう十一月、どうして彼ができないのかしら。乙女盛りの十七歳、こんなにかわいいのに。きっと、不幸な星の下に生まれたのね。いえ、違うわ。きっと白馬に乗った素敵な王子様がクリスマスの日に迎えに来てくれるのよ。きっと』
 インナー・トリップ。少女ものにはありがちなやつである。これがなければ物語が成立し得ない程の存在感をもつが、俺にとっては、むず痒くてしょうがない。本人の主観のみで構築された世界には、何人たりとも立ち入ることができない。現実にここまで思い込める人間がいるのなら立派なものである。
 客観的に見てみよう。俺に言わせれば、本人がナルシスティックに思っているほどかわいい訳ではない。よく言って中の上くらいである。不幸な星の下とはよく言ったものであるが、不幸な橋の下と言ったほうが正しい。迎えに来るのも白馬に乗った王子様ではなく、耕運機に乗った農家のおじさまであろう。現実とはそういうものである。
 葉子にはクラスに気になる男子がいた。明るく成績も良い、サッカー部に籍を置く大林一彦である。女子の人気も高く、浮いた話がないのが不思議なくらいであった。薄茶色のさらさらヘアー、ぱっちりとした大きな瞳に代表される整った顔立ち。一七八センチの長身映える長い脚。少年のような雰囲気をもちながらも精悍ささえうかがえる小麦色の肌と書いたところで思ったが美化し過ぎである。しっかり現実を見つめろと言いたいが、葉子にはそう見えてしまうのだから仕方がない。インナー・トリップの勝利である。
『カズくん私のことどう思っているのかな。香奈子とよく喋ってるし、でも、二人は幼馴染だから話しやすいのかも。きっとそうだわ』
 葉子は一彦に目をやった。先生の話を聞いていた一彦と一瞬目が合う。葉子は顔を赤らめて前に向き直った。
『目が合っちゃった。どうしよう、私がカズくんのこと好きだって分かっちゃったかしら。いえ、これで良いんだわ。運命ってやつね、きっと』
 などとトリップしているうちに授業が終わった。いすが床にこすれる音が響き渡り、二人の女生徒が葉子のところにやって来た。
 二人は私の友達で美樹と智子。親友と言っていいくらい仲がいいの。でも二人にはちゃんと彼がいて、なんか私、同情されてる感じ。心配はしてくれているんだろうけど、たまに頭にくるときがあるのよね。
 と、まあ、↑こんな感じで普通は進んで行くんだろうが、書いているほうが苛々してこないのだろうか。俺はしたぞ。私小説風というか、感情垂れ流しというか、はっきり言おう。俺には書けん。
「ねえ、葉子どうするの。もう十一月だよ。クリスマスなんてあっという間だからね」
 智子である。俺の設定では葉子よりもずっとかわいいとなっている。美樹にも同じことが言えるのだが、台詞だけを読むと既におばさん予備軍である。困ったものだ。
「それは私だって思うわよ。でもできないものはしょうがないじゃない。私だって悩んでるんだから」
 嘘だな。初めのインナー・トリップのときにそれは明らかになっている。ナルシスティック葉子には悩みなどない。
「葉子、行動あるのみだよ。私たちだってそうだったんだから。悩んでるだけじゃ何も始まらないよ」
 机の前に座り込んで顔だけを出している美樹が智子の肩を持つ。
「でも…」
「でもは言いっこなし。行動するしかないんだから。その気があるんなら私たちでセッティングするからさ。元気出しなよ」
 俺にしてみれば、智子のこういう発言は大きなお世話なのだが、少女たちは不思議と団体行動を好む。告白する時に、男一人女十数人というシチュエーションも少なくない。
「で、いつにする? 早いほうがいいんじゃない、あんまり時間もないし。もう、今日言っちゃえば、こういうことは早ければ早いほどいいんだから」
 一概にそうとは言えないと思うが。
「うん…。じゃあ、明日ね。心の準備もあるし。智子と美樹にも手伝ってもらうからね。あんたたちがけしかけたんだから」
 大乗り気である。『仕様が無い、やってやろう』という言動は、この場合ふさわしくない。
「明日ね。絶対だよ。明日になって嫌だって言っても遅いからね」
 うーん、怖いっス。そこまで念を押さなくてもという気もするな。さすがおばさん予備軍である。

 翌日。
 放課後。
 智子と美樹が勝手にセッティングして運命のとき。もう、心臓が破裂しそうなくらいにドキドキしてる。カズくんに何て言ったらいいのか考えがまとまらないし。本当に超ドキドキだわ。
 ↑こんな感じだろ。俺も少しは慣れて来たな。まだ苛々するけど、こつはつかんできたぞ。まあ、こういうのは二度と書かないような気はするが。
 可哀想なのは大林一彦である。女の子からの呼び出しというものは、ヤンキーちゃんに『ちょっと面かせや』と言われるのと同じくらい怖い。一人のときを狙って、「大事な話があるから放課後残ってて」である。男の都合など聞かない。男はただ「はい」と言うしかない。しかも、「みんなには内緒だよ」である。放課後に意味もなく残っている奴を誰が怪しまないと言うのだろうか。聞きたいものである。ただ、この時点で女子のほとんどは知っていると言っても過言ではない。
 で、放課後ね。級友の大半が帰ったころに、智子が一彦を呼びに来た。一彦はただおとなしく智子の後を付いて行く。教室を出て階段を上り、屋上に出る扉の前で止まった。しかし、誰もいない。
「ちょっと待ってて」
 それだけ言って、智子は階段を駆け降りて行った。残された男の立場というものを全く考えていない。困ったものだ。
 一彦は待った。扉にもたれ掛かり、どうしようもなく手持ち無沙汰な時間をボーっと過ごす。五分が過ぎても智子が上がって来る気配はない。もう帰ってしまおうか、という考えが頭に浮かぶが、ここは我慢である。しびれを切らして帰ってしまったりすると、もう大顰蹙間違いなしである。次の日から全ての女子が敵に回ると考えてもいい。
 と、あれこれ考えているうちに下の方から声と足音が聞こえて来た。
「早くしなさいよ。待たせてるんだから」
 智子の大きな声が響き、三人の人影が見えた。智子と美樹に引っ張られるようにして葉子が姿を現す。一彦は階段を上がって来る三人をじっと見ている訳にもいかず、かといって全然関係ない方向を見ている訳にもいかず、ただ気まずそうに目を泳がせ、三人が上がって来るのを待った。
「ほら、葉子、早く言いなさいよ」
 葉子を前に押しやりながら、智子は一歩下がった。美樹もそれに倣う。
『カズくんが私を見てる。運命の時なのね、きっと』
「あの、私と、付き合ってもらえませんか。お願いします」
 葉子は一人前に顔を赤らめ、目を泳がせて言った。しかし、ここでうまくいくほど現実は甘くないし、俺も甘くない。一彦は一瞬困った顔をし、智子と美樹に一度目をやってから、明るく言った。
「俺、今付き合っている人いるからー、ごめんねー。それじゃあ、俺、帰るわ。うん、ごめんねー」
 一彦はそれだけ言うと、茫然と見ている3人を残して階段を下りて行った。それを見送って、智子と美樹が葉子を慰めにかかる。うまくいく訳がないのだ。俺が書いているのだから。はっきり言って、俺はハッピーエンドが嫌いだ。少女の思いが報われる? 事件が一件落着する? 嫌な奴・悪い奴だと思っていた人間が実は良い人だった? ふざけるな。俺はそういう人を小馬鹿にしたような結末はすかん。カタルシスで生きている人間なんだよ、俺は。うーん、支離滅裂だな。
 ひどいよね、あんな言い方ないよね。と慰められている当の葉子は、下を向き落ち込んでいる悲劇のヒロインを演じながら、次のターゲットを思い浮かべていた。やはり、これくらいのバイタリティーがなければ、俺の作品で主役ははれない。まあ、俺が作ったキャラクターはみんなこうだけどね。仕方がないんだよ。俺自身こうなんだからさ。
『いつまでも泣いてちゃだめだわ。私は明日に向かって生きているんだから。もっと素敵な王子様が迎えに来てくれる運命なのよ。きっとそうなんだわ。それまでの我慢よ』
 王子様にも選ぶ権利はあるはずである。俺は王子様じゃないから迎えに来てしまう気持ちは分からないが、俺だったらほっとくな。嫁不足で困っている農村にでも送ってしまいたいような気はするけどね。強く生きていきそうだし。まあ、ほっとくのが一番だな。自分のためにもね。
 葉子はその日の帰りに、肉まんを三つ食べたそうである。十一月のよく晴れた日のことだった。

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