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夢中 | 天羽 均

 ある自殺の現場で遺書と思われる手紙が発見された。死因は、手首を切断寸前まで切ってあるところから、見るからに出血多量、遺書の方にも血が付いているところを見ると、書いている途中で切ったようだ。
 これほど奇妙な事件は多くない。私が担当した中では、最たるものである。プラバシーを侵害しない程度に紹介したいと思う。遺書の内容は次のようなものであった。


正気の私へ(封筒に書いてあったタイトルである)

 もう何がなんだか分からない、夢も現実も嘘も真実も、何もかもが混乱している。いくら睡眠薬を飲んでも眠ることができないし、かといって起きていれば、笑っている自分が脳に映って狂いたくなってくる。ああ、既に狂っているのかも知れない。私には、ただ一つの救いもないのだろうか、こうなった経緯を思い出してみても正気とは思えない、自分の意識とは別に体が動くなんて、そんなことある訳がない。
 私が正気に戻ったときのために詳しいことを書き記しておく、狂気の私から正気の私への手紙だと思ってもらえればいい。

 あのときは雨が降っていた、視界が悪く、滑り易かったのかもしれない、猫が自動車に轢かれて死んでいた。内蔵が飛び散ることもなく、奇麗なままで転がっているそれに、見ていた私は近づいていった。私は見ていたのだ、後ろから、歩いて行くその姿を、その背中を見ていたのだ。何故か驚きはなかった、ただ見守っているだけの自分に気付いても、また、それを見守ってしまい、無限に繰り返すだけの思考が、私を迷わせようとしていた。しかし、混乱することはなく、ただ見ているだけだった。私は、今度こそ驚いた、私の目に映っていた私が、肉塊の前に座り込み、猫の顎を素手で引き裂いたのだ。卵の黄身が割れた殻から白身とともに落ちるように、朱に染まった内臓が革袋からこぼれ落ちた、血液は雨で流れ、朱い筋を三本作り拡散していった。鼓動が高鳴り、自我というものが少し戻ってくると、信じられない気持ちと共に、目に映っている私の行動を止めたいという気持ちが膨らんでいく、私は走っていた、雨の中を、傘を閉じて一目散に、しかし、これもやはり背中を見ていたのだ。自分の神経は走っているという感覚をもっているのに、実際走っていたのは目の前にいる三人目の私だったのだ、視界は変わっていない。三人目の私は傘を握り直していた、私の意思ではない、そしてその傘を二人目の私の首筋に突き立てた。猫の内臓を引き千切っていた二人目の私は、三人目の私を睨みつけると、手に持っていた心臓を自らの口に頬張り、笑いながら歯ですり潰していた。三人目の方も笑いながら首に突き立っている傘を動かしていた。見ていられなかった。私はその場に座り込み、目を閉じて、込み上げてくる嘔吐感に耐えた、そこに二人の私の感覚が入ってきたのだ、傘を肉に突き刺したときの弾力と手ごたえ、首に異物が入る痛み、内臓を握り潰す独特の感触、心臓をすり潰す歯ごたえと口に溢れる肉塊と血の味、全てが一瞬のうちに私を襲い、その気味悪さと嫌悪感が意識を止めた。再び意識が動き始めたとき、何の感覚も残っていない身体を意識し、今までのことを忘れてしまいそうな程の不安と、何に向けたらよいのか分からない恐怖を、降り続いている雨と同じくらい感じた。何も起こってはいなかったのだ、私は立っているままだし、猫だってそのままだ、身体にも何の感覚も残っていない。何より思い出せなかった、先まで視神経を通して脳に映っていた画像を再現することができなかったのだ。何を見ていたのかは分かっているのに、脳は写真のような動きのない大まかな構図を想像することしかできなかった。
 これが始まりだった。
 次に起こったのは二日後の夜だった。
 私は電話をかけていた。別に用があった訳ではないが何となくかけていた。隣の部屋から男の声が聞こえた、続いて女の声がした。壁に耳を付け、友人の声を制して澄ましてみた、部屋からは喘ぎ声が聞こえ、スプリングが軋む音も聞こえる。高らかに鳴り響く女の声に反応する男の声が聞こえたとき、それを消したいという感情に包まれていた。下品で汚らしい声に苛立ちを覚え、人間の性というものに幻滅さえした。そのとき、視界が動いた、自分で歩いている感覚はない、視界だけが動いているのだ。体を動かすことはできるが、動いている感覚があるだけで視界は変わらない、私の意志とは別に視界が動いていた。ドアが開いた、視界が外に出る、隣の部屋の方に向きが変わった、開いたままのドアの向こうに、受話器をもち壁に耳を付けている自分がいるのを視界の端のほうに確認し、二日前のことを思い出していた。視界は進み、隣のドアの前で止まった、ドアが静かに開き、女の声が聞こえていた、中に入った。廊下を進んでいく、入ったこともないのに家具や小物の位置まではっきり分かる、夢ではない。私は膨らんでいく不安の中で勃起するのを感じた、熱い、体が疼いている、体に感覚が戻った。それまでなかったものが感じられた、何かを持っている、棒のような何か、重くて手にズシリとくる。視界が進んだ、寝室へと向かっている、体が言うことを聞かない、動いている感覚もない、ただ体が何をしているのかは分かった。視界が進んでいく、陰茎が熱い、寝室に近付いていく、女の声が上がり男がそれを煽る、再びあの感情が起こった。私の視界は寝室へ入った、私に気付く気配はない、女が喘いでいる、熱い、もう限界だった、私の手が動いた、男の頭にバットが埋まっていた。女の悲鳴に近い喘ぎとともに私は射精していた。視界が消えた。意識の外に何かが聞こえ、我に返った。友人の声と、隣の部屋から聞こえる喘ぎ声だった。夢を見ているような気分だった。そう信じたかった。しかし、友人の話では、私は絶えず喋っていたそうである。本当のはずがない。手に残っている感覚も、残っている射精感も(実際は出していなかった)、私は忘れることにした。
 ここまでは忘れることも、夢として終わらせることもできる、だが、今度のはどうにもできない、人を殺してしまったのだ。一九八九年二月八日に起こった目潰し殺人は私のせいなのだ。でも、これも狂っているとしか思えない。
 あの夜は、コンビニへジュースを買いに行っていた。ただそれだけのはずだった。私は公園の中を通り、家に帰っている、ベンチでは多くのカップルが絡み合っていた。誰かが私を笑った、何あの人、独りなんて可哀想、これから帰ってマスでもかくんじゃねえの、聞こえないふりをして通り過ぎようとしたとき、一組のカップルが私の前を横切った、女は私を見て笑っていた、目が笑っていたのだ。何かが切れるのを感じていた。思考が止まった、感覚は残っている、体が動いた。女の後ろを歩いていた、男が気付き振り返る、何だおまえ、女が振り返った、不思議そうなものを見るように私を見ていた。女の目が笑う、なんだって言ってんだよ、私は女の目を見た、笑っていた、その目も、その目に映っている私の顔も、誰も笑うな! 感情が爆発した。これから先はうっすらとしか覚えていないが、女の目の中に指を突っ込んだ記憶がある。意識が戻ったとき、私は自分の家のベッドに寝ていた。前のときと同じように、また夢かと思った、しかし、手には赤黒いものがこびりつき、服は朱い斑点で染まっていた。テレビでもこの事件のことを取り上げ、近代稀に見る残酷さと言っていた。
 私は怖かった。また何時こんなことをするか分からないからだ。ずっと寝ていようと思った、そうすれば狂うこともない、でも寝れない、恐怖と笑っている自分がそれを許さない、睡眠薬を飲んでも、いくら飲んでも、狂っていくだけなんだ。今だってそうだ、笑っている自分が目の前にいて、右を見れば、睡眠薬を貪り食って白い泡を口から出している自分がいる。
 もう駄目だ、私は狂っている、殺人犯だ、自分をコントロールできない出来損ないだ。そして、誰もが私を見て笑うだろう、こんなときになって、涙を流しているなんて。でも本当は、夢だと信じていたいんだ。
     一九八九年二月十一日   』

 都合により名前は削除させてもらったが、これが全文である。これだれを読んだ人なら、別に興味を示さないかもしれない。夢遊病ということも考えられるし、殺人犯の単なる戯言ととらえることもできる。しかしこの場合、それは当てはまらない。一九八九年二月八日前後に、目潰し殺人など起こっていないのだ。そして何より、この男が死んだのは、一九九二年四月二十三日であって、一九八九年二月十一日などではない。要するに、この男は三年前から思考が止まっているか、三年前に思考が戻ったかのどちらかである。
 ここで付け加えておこう。この男は三・四年前に、人から角膜をもらい移植している。そして、退院して二週間目の雨の日に、交通事故で意識不明の重体、頭蓋骨が陥没し、脳に異常が見られた。意識を取り戻したのが一九八九年一月二十八日、しかし、それからも何度か意識不明に陥っている。そして、退院したのが、一九九二年四月二十一日であった。
 私が考えるに、この男が見てきた幻は、意識不明のときに見たものだろう。角膜を移植していることから、提供者が目にしていた光景かも知れない。それに、この男の精神に抵抗する力がなかったのだろう。
 ここでどう言おうと、私の勝手な詮索に過ぎないのだが、一つだけ私にも言えることがある。人間とは狂える動物である、ということである。この男だけではなく、人間はいつだって狂っているのだ。
 この出来事を、(不謹慎だが)おもしろいと思うか思わないかは、あなた次第であるが、少なくとも私はおもしろく感じた。
 私自身、狂っているのだから。

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