アルミとアオギリ | 富永 天照
アルミとは・・・
金属元素の一つ[記号はAl元素番号は13]。
銀白色で軽く、展性・延性に富み、容易に酸化しない。
建築・車両資材や日用品など、用途が広い。
略してアルミというものである。
アオギリとは・・・
庭木・街路樹に用いる落葉高木。
葉はキリに似て、幹は緑色。南方産のアオギリ科の常緑高木の実は特有の風味を持つ清涼飲料の原料となる。
「いやっ、やめてっ、ああっ。」
何かが私をつつみこんだ。紅。動脈の様な色をしたものを無理矢理着せられる。無機質な手が私をもてあそぶ。私は何も出来ずに泣き叫ぶだけだった。ふと見れば、私の仲間も哀願する声を全く無視されながら私と同じ仕打ちを受けている。私達の肌に以前のようなつやはなかった。意識がもうろうとする中で私はさっきとは違う誰かの処へ連れていかれた。
「あっ、あぁっ。」
いきなり何かが私の体の中へ入ってきた。そしてそこから何か生あたたかい液体が飛び出し私の中で波打っている。私の必死で泣き叫ぶ声は激しいうねりの中で消えていった。体が重くなり、頭の中は真っ白になっていく。私は同じ運命をたどった仲間達と共に暗い部屋に連れられていった。私の意識はそこまでが限界だった。私は深い哀しみと変わり果てた姿と一緒にいつの間にか眠ってしまっていた。
この国はもとより、世界中で圧倒的な売上を誇る多国籍企業がある。その企業の主力製品である清涼飲料水。各国各地で毎月の様につくられ、出荷されていく。ここでは、ほぼ完全に作業を機械が行っている。目立つラベルを吹き付け、液を入れ、栓をする。アルミ缶やスチール缶、ペットボトルまで様々な器の色々な清涼飲料水がダンボール箱につめられ、街へ送られる。私が再び目を覚ました時、そこはそんな箱の中だった。
体が重い。何かが私の中でゆれている。辺りは真っ暗だったが、隙間なくつめられた私達がトラックに乗せられ、二度と帰ることのない旅に出たことはわかる。
「私達、どうなっちゃうのかしら。」
私の隣にいる彼女が不安を隠しきれずに私にきいてきた。声が震えているのが分かる。私も彼女と同じだった。何も分からずいきなり紅ものを吹き付けられ、黒い液体を入れられ気付いたら箱の中。噂にはきいていたけれどもいよいよ私が「人に飲まれるために出荷されている」という事実を受け入れることは、私には大きすぎることだった。
「分からない…」
私はそれしか言えなかった。他の皆も同じに違いない。だれも分からないのだ。
「私はいや、どこの誰かもわからない人に飲まれるなんてっ。」
私達の話を聞いていた別の人が吐き捨てるように言った。
「絶対に逃げ出してやるわ。そして、素敵な彼を見付けて幸せに暮らすの。」
誰も何も言わなかった。と言うよりも言えなかったのだ。出切ることならそうしたい。私だってせっかく生まれてきたからには、色々やってみたいことはある。けれど、私には何も出来なかった。この皆が同じようにつめられた箱の中から出るなんてことは怖くてとても出来ない。このまま、何もわからず、誰とも分からない人に飲まれるのも嫌だし、怖い。結局、私は何も出来ず、何も言えないまま、ゆられつづけた。
ゆれが止まった。どうやらどこかに着いたらしい。トラックの扉が開けられたのか、箱ごしに光が入ってきた。若い男の人が、私達の入っている箱を慣れたてつきで持っていく。箱の外では話し声がしていた。どうやら私達は、自動販売機に入るらしい。鈍い音を立てて箱が破られた。日の光がまぶしい。私は恐怖で激しく高鳴っている胸の鼓動を感じた。大きな自販機の扉が開けられ、私と同じ姿をした人やその他様々な姿をした人が、積まれているのが見える。「いよいよか…」心の中で私がつぶやいた時、隣にいた彼女はすでにいなかった。日焼けした大きな手が彼女をつかんでいる。彼女は必死で叫んでいたが慣れたてつきで彼女をその大きな自販機の中につめていく。「あっ」そう思ったときは私がその手につかまれていた。突然のことだったせいか、それとも恐怖のせいかは、わからなかったけれど、私の口から言葉は出なかった。あっという間に私は自販機の一部となった。
「ああ。」
ためいきの様な声が自然と私の口から出た。もう逃げられない。あとはもう誰かに買われて、飲まれるだけの人生だ。
するとその時、私達をこの中に入れた手からするりと滑り落ちた人がいた。先ほどまで、
「絶対、逃げてやる。」
と言っていた彼女だった。彼女はその言葉通り私の目前でおどるように手をすりぬけて落ちていった。その顔には、喜びと希望が満ちている。落ちていく彼女。しかし、次の瞬間彼女は鈍い音を立ててアスファルトと少し強烈なくちづけを交わした。無論、彼女にとって初めての経験である。彼女を落とした男は何事かつぶやきながら彼女をひろいあげた。その体は一箇所見事に陥没している。彼女の顔から喜びと希望の表情は消え、代わって苦痛の色が浮かんでいる。激しい苦痛の表情だった。彼女をつかんだ男は、この自販機の持ち主らしい人と二言、三言、言葉を交わし、結論を得た様だった。どうやら彼女はもう売り物にはならないらしい。それをきいて私は一瞬「何てうらやましい」と思ったが、彼女の表情を見て、すぐ自分が間違っている様に思えた。事実、私の思いは間違っていた。持ち主らしい人と若い男とのやり取りが終わると、突然男は、体が陥没した彼女のプルタブをひいた。それまで苦痛の色を浮かべていた彼女の顔に驚きの色がたされる。
「いやぁぁっ。」
彼女は自分に何が起こったのかを悟った。若い男は彼女を自分の口に連れていくと、満足そうに彼女の中身を自分ののどに流し込んだ。黒い、炭酸をともなったそれが、勢いよく吸い込まれていく。彼女はあっという間に飲みつくされ、軽くなった彼女は次に、その日焼けした大きな手に抱き締められた。地面に落ちた時よりもいくらか軽い音を立てて彼女は握りつぶされた。そして、そのまま、くずかごに投げ捨てられる。彼女はもうただの燃えないゴミでしかなかった。私は怖かった。同時に、逃げ出さなくてよかったと思った。少なくとも今はまだ生きているのだ。箱の中が空になった時、自販機の扉が閉められた。私は再び暗闇の中にいる。
辺りはすでに夜だった。私は昼間の彼女の事が忘れられずにいる。今、私がいる自動販売機の中には、色々な清涼飲料がいた。けれど、そんな中で私は、ただ何も分からない未来のことに脅えるだけだった。
「どうしてそんなに震えているんだい?」
こわさのあまり幻聴でもきこえたのか、下の方から声がしている。
「こわいのかい?」
もう一度きこえた。どうやら幻聴ではないようなので私はそっとその声がする方に目を向けた。すると、そこには小さなアルミのコーヒーがいた。私と視線を合わせるとコーヒーはにっこりとほほ笑んだけれど、緊張のせいでおかしなわらい方になってしまった。
「あなたは?」
何をききたいのか自分でも分からなかったけれど、私はそれを口に出した。
「僕かい?僕はコーヒーさ。君は今日初めてきたんだろ。」
彼の声には私の緊張を解きほぐす様なあたたかさがあった。何も分からずに震えている私にとって、彼の声は嬉しかった。
「ええ、私これからどうなるのかと思うと……」
そんな私を見て彼は少し笑った。私は自分が恥ずかしいと思っていることに気がついた。
「フフッ。僕達は、人に飲まれるために生まれてきたんだよ。」
そんなことを言われても私にはよく理解できなかった。私が黙っていると、彼は言葉をつづけた。
「人ののどの渇きを癒したり、人を暖めるのが僕や君の役目なんだ。僕達が誰かにそんな幸せをあたえるんだよ。素敵だと思わないかい?」
彼は本当に嬉しそうにほほ笑んでいる。余り彼の言っていることはよく分からないけれど何かいいことのような気がしてくる。私もとりあえず笑っていた。
すると突然、私のいる自販機に何かが起きた。良く分からずに私が慌てていると、彼は優しく説明してくれた。
「お金が入れられたんだよ。誰かが買われていくのさ。」
見ると、確かに誰かが自販機の前に立っている。ふと、まわりを見ると皆緊張している様に見える。不安な感じと言うよりも、何か期待しているというような感じだった。
「ガチャン」
軽い音をたてて何かが動きだした。
「おっと、どうやら僕のようだよ。いよいよきたみたいだ。じゃあね。」
言い終わらないうちに彼は落ちていった。その顔には、満足そうな笑みが浮かんでいた。あっという間に私の視界から消えてしまった。
外には若い二人の男女が立っているらしかった。外は寒いのか、二人はよりそって白い息をしている。男の方が足元の方へ手をのばした。その手の中に、彼はいた。彼は満足そうに握られている。男の方がにこりと笑い、彼をあけた。男の隣にいる若い女がそれを見て幸せそうにほほ笑んでいる。そして彼は、そんな二人に飲まれていった。コーヒーの彼で暖をとる二人の男女と満足そうに飲まれている彼。そんな光景を見ていると、私はうらやましくなってきた。
「どうやら、分かったようだね。」
ふと気付くと、隣にペットボトルのおばさんがいた。私の心の中を全て見透かされているような気がして、私は顔を紅らめた。
「恥ずかしがらなくてもいいんだよ。立派なことさ。」
おばさんの声はやさしく、私は照れ笑いをうかべている。
「ええ、なんか、とてもうらやましくなってきて。」
私の心の中にもう恐怖はなかった。むしろ、あのコーヒーの彼のように成りたいと思っている。何か明るい光が見えてきた様な感じがした。ペットボトルのおばさんもそんな私を見て満足そうにうなずいている。
「早く飲まれるといいね。」
おばさんはそう言った。私もそう思った。
「私も誰かの渇きを癒してあげたい。」
そして、夜がふけていった。
一日が終わり、新たな一日がはじまった頃、一台の車が私のいる自販機の前に止まった。そして、乗っていた男が自販機の中へ百十円を入れた。私はもう昨日までの私じゃない。何も分からない恐怖はもうなく、今は他の皆と同じ期待でいっぱいだった。「あなたの喉を私が癒してあげる」そう思いながら、車に乗っていた男がボタンを押すのを待った。隣でペットボトルのおばさんが私の方を見てほほ笑んでいる。
「あっ。」
急に私の体をささえていたものが無くなった。とても運がいいことに、男は私を選んだ。私は何か見えないものに吸い込まれるように、落ちていく。
「おばさん、ありがとう。行ってくる。」
最後まできこえたかどうかは分からないけれど、私は落ちていきながらおばさんにそう言った。満足そうにうなずいているおばさんの姿が小さくなっていく。そして私は男の手の中に入っていった。
男は車に戻ると、それを走らせた。私は彼の右手に握られている。ドキドキしながら私はプルタブが引かれるのを待った。私もあのコーヒーの様に人を幸せにしたい。男は器用にハンドルを持ったまま、プルタブをあけると、中から炭酸の弾ける音と、アオギリの実の独特な香りが流れた。その液体が黒いのはカラメルのせいである。「ああ、いよいよだわ」私は心地よい緊張を味わっていた。男が私を口元へつれていく。あたたかく、そしてやわらかい感触が私の上のほうに感じられた。体の中の液体が男の中へ流れていく。
「ああ。」
私は満ち足りていた。突然体に紅もようを描かれ、その黒い液体を入れられ、暗い箱につめられて出荷された頃の感情は今はもうない。代わって、誰かを幸せにしたい。私が飲まれることで、誰かが幸せそうにほほえんでくれる。私は人に飲まれるために生まれて来たんだ。そんな気持ちが今の私の全てだった。そして私は今、その幸せを実感している。
「ああ、今、私は人に飲まれている。素敵だわ、私にとってこれ程幸せなことはないわよ。ああ、コーラに生まれてよかった…」
私の体はすっかり軽くなった。男はひと呼吸すると、満足そうな顔になった。それから軽く窓を開けた。体は軽くなったけど、心はすっかり満ちあふれている私に、夜の風がやさしく吹き付けてくる。窓はどんどん開けられ、風が強くなってきた。私は甘い夢のような気持ちになっていたので今、自分がどこにいるのか分からなくなっていた。強い夜の風、暗い夜の道、私は空に浮いているような心地がした。実際に空に浮いていると分かったのは次の瞬間だった。私は軽い音をたててアスファルトにたたきつけられた。私を飲んだ男の車はすでに小さくなっていた。余りに突然のことなので、理解するのに少し時間がかかりそうだった。しかし、次の瞬間、私の視界に巨大な黒いものが入ってきた。それがダンプカーのタイヤだったということに、私は一生気付かなかった。私はまだ夢の中にいる様だった。コーヒーの彼やペットボトルのおばさん、そして私や他の皆が幸せそうに人に飲まれている。飲んでいる人々も満ち足りた顔で、私達を飲んでいる。
「ああ、なんて素敵なの…」
それが私の覚えている最後の言葉だった。次の瞬間、黒いタイヤがうなりをあげて、私に近付いてきた。鈍い音がして私は永遠の旅に出た。丸かった私の体も今ではもうぺらぺらだった。私の体にかかれている言葉も、今ではただ空しいだけだった。
・ あき缶の再資源化にご協力ください。
・ あき缶はあき缶入れ等へ、また車窓から投げすてないでください。
「あき缶はリサイクルへ」
今、ドライバーのモラルが問われている。