あまがえる | 本崎 遥
僕は八時二十五分に目を覚ました。学校の授業開始時刻は九時三十分で、バイクで行けば四十分、自動車で行けば五十分かかるから、八時四十分にはとりあえず準備を終わらせなければならない。しかし、いつも家を出るのが遅れてしまい、一時限目には遅刻続きであったからそれに慣れてしまい、焦りはほとんどなかった。
僕は前の日の夜にCDからカセットテープにダビングしておいたデルジベットの『Flowers』とジタンを手に取り、部屋のドアを開けた。『Flowers』というタイトルは、このアルバムに収録されている同名の曲が好きだったから付けた名前である。元々のタイトルは『Historic Flowers』というのだが、このアルバムは二枚組で、両方あわせると百三十分くらいになり、テープを二本に分けたくもなかったので家にあった七十四分テープに特に好きな曲だけを選んで無理やり入れ、そのままのタイトルでは嫌だったので変えたのである。どうせ車の中でしか聴かないものだから、それでいいと思った。このアルバムは現在廃盤状態になっている『Violetter Ball』から『CARNIVAL』までの五枚のアルバムと、『Girls』という今はなき十二インチシングルからのベスト盤である。僕は四枚目のアルバムにあたる『Garden』をレンタルで見つけ、MDにダビングしたものを持っているだけだった。
テープに入れた曲は次の通りである。
A面に、『待つ歌』 『Der Rhein』 『キス ミー プリーズ』 『Girls』 『沈みたい』 『UNBORN CHILD』 『FLOWERS』 『Garden』
B面に、『Only“You”,Only“Love”』 『口紅蜃気楼』 『Pas Seul(一人舞い)』 『Lonely Dance』 『天国へ OVER-DRIVE』 『マンモスの夜』 『GYPSY』 『Garden』
AB両面の最後にきている『Garden』という曲はインストで、時間が余っていたから入れた。『待つ歌』はデビュー曲で、これがロックバンドかと思わせるような曲であり、『Der Rhein』は、これでいいのかロックバンドと言いたくなる名曲である。切なすぎて泣くしかない『沈みたい』『Pas Seul』『GYPSY』の三作、悲しいくらいに奇麗な『FLOWERS』、ノリの良すぎる『天国へ OVER-DRIVE』、これらの曲は必聴である。
僕は階下に下り、鞄の上にテープとジタンを置いて洗面所に行き、顔を洗った。髪に寝癖がついていないか鏡で確認し、トイレに入る。ぼやけた頭のままで小だけ済ませ、手を洗って出た。居間に戻って時計を見ると既に三十五分を過ぎている。ボーっとしている時間が永いのだろうか。しかし焦りもせずに着替えを済ます。六月も半分が過ぎたというのに、僕はまだ長袖のTシャツを着ている。僕は自分をバイカーだと思っているから仕方ないことである。
それから僕は悠長に朝食をとる。ご飯と納豆の味噌汁だった。いつもの事だが、それら全部を食べはしない。残してしまう。たいして気にはしてないが、八時五十分を既に回っているのだから仕方のないことだろう。朝のひと時は仕方のないことばかりである。ぼやけた頭で考えていることだから、これまた仕方のないことである。
僕は鞄に必要な教科書と弁当とジタンを入れ、ズボンの後ろポケットに財布と免許証を詰め、腕時計をつけて、新聞の天気予報欄を見た。雨の確率五十%、外を見ると降ってきてはいないが曇っていた。バイクで行くのを諦め、戸棚から車のキーを取り、靴を履く。母に見送られながら、我がドライバー保険号のところまで歩いた。
ドライバー保険号は六十三年式のアコードである。色は白で傷が多々ある。持ち主にあたる叔父が、パチンコをしにいって擦られてきたり、アパートの駐車場に停めていてぶつけられたり、まあ、自分でぶつけたりと、そうやってできた傷である。後ろのタイヤのホイールがちょっと曲がっていたりもする。僕はまだその経験はないが、誰か軽くぶつけてくれないかなと常々思っている。そうすれば塗装をし直す金が浮くからだ。当て逃げは困るけど。
この車には任意保険がかけられていない。そのためのドライバー保険なのだ。正確には自動車運転者損害賠償責任保険という。二十一歳未満は年間四万三千百二十円、対人は無制限で、対物は五百万までおりる。借りた車で起こした事故だけにおりる保険だが、僕は自分名義の車を持っていないから、まさに最適の保険といえよう。よって、アコードは僕以外の人間は怖くて乗れないのだ。人を轢いてしまったら首を括るしかない。
僕はドアにキーを差し込み、左右どちらかに回した。どっちかは未だに覚えていない。開きさえすればいいのだ。ドアを開けて中に入り、鞄を助手席に置いた。ドアを閉め、アクセルを一回大きく踏み込んでキーを回す。キュルルとセルが回る音がしてエンジンがかかった。カーステレオのイジェクトボタンを押して中に入っていたテープを出し、『Flowers』をケースから取り出して差し込む。テープが回り始め、ピアノの音が鳴り出した。『待つ歌』である。明るいストリングスのようなギターが絡み、ベースがリズムを刻みだす。「いつからか 僕は ここにいた/とどまりの中で ねむり続け」 これが歌の出たしである。まさに待つ歌である。ISSAYがなんだか安定しない声色で歌う。妙に物悲しく聞こえ、そこいらのボーカルとの表現力の違いを感じさせる。八年も前の作品だというのに全く違和感がない。市川哲史言うところの正義は勝つである。
ブレーキペダルを踏んでサイドブレーキを下ろし、ギアをドライブ3に入れる。AT車だからクラッチなどない。車が来ていないか左右を確認し、ブレーキから足を離した。車体が少し前に出たところでアクセルを踏みハンドルを右にきる。八時五十八分、十八分遅れての出発である。
満州堂の前を通り、橋を越えたところで左に曲がる。宇美川沿いの道を加速していき、制限速度が三十キロのところを六十キロまで上げて走る。四十五キロを過ぎたくらいに、ギアをドライブ4に変える。これをするだけでもかなり燃費が違ってくるのだ。交差点に差し掛かり、赤信号で止まった。ウインカーを右にあげる。
デルジベットは『DER ZIBET』と書く。独語の英語読みである。意味は一度調べたけど忘れた。『DER』は英語で言うところの『The』に当たることは知っているが、『ZIBET』は何だったろう。何かの香料の名前だったかな。まあいいとしよう。デルジベットは千九百八十五年十月にシックスティーレコードからシングル『待つ歌』でメジャーデビュー、同時にファーストアルバム『VIOLETTER BALL-紫色の舞踏会』を発表するが、当人たちの予想に反して売れなかったんだな、これが。デカダンということだけが浮き彫りにされ、メロディーのポップさが相手にされなかったのかどうかは、当時を知らない僕には分からないことである。十一歳にデルジベットは早すぎる。ああ、くやしい。
信号が青になり発信する。右に曲がり少し行くと、またもや赤信号につかまる。まあ、いつもの事であるが。
車を止めて少し待っていると、右のドアウインドーにぶつかる物体があった。タイトルにもなっている雨蛙だった。頭の右側から背中の半分くらいにかけて灰色だったが、紛れもない雨蛙である。喉を動かし、あらぬ方向を見ていた。
再び信号が青になり、前の車に続いて発信する。雨蛙が逃げる気配はない。少し行ったところでウインカーを右にあげ、進路変更をする。また赤につかまるが、今度はすぐに変わった。
『待つ歌』が終わり、ドラムロールから入る四拍子の名曲、『Der Rhein』が始まる。これは『デルライン』と読む。「酒の味 苦いだけ 苦しみを忘れたいだけ」初めてこの詩を読んだとき、何となくおっさんくさいなと思ったが、楽曲を聴いたときにそれはぶっとんだ。あまりにロック離れし過ぎていて、にやにやしてしまった程だ。何をしたいかより何ができるかを追求した結果がこれである。凄すぎる。
交差点を右に曲がり、アクセルを踏み込むこともなく、車を止める。県道六十八号線と交差する為に信号がすぐ変わってしまうので、少し込むのだ。
僕は雨蛙を見て、どうやって逃がそうかと考えた。道路の真ん中で逃がせば、他の車に轢かれてしまうのが落である。だからと言って、蛙を逃がす為に原っぱに車を停める時間的余裕もないし、そんなことはしたくもない。考えがまとまらないうちに車が流れ出す。
「回る 回る……」とISSAYが歌う。回っているのは僕の思考である。あ、市川哲史はISSAYの美学を「袋小路でくるくる回り続けるだけ」と言っているから回っているのは僕だけじゃないや。失礼。
信号を突っ切り二十四号線にのる。ここのT字路でも一度止まらなければならない。信号に止まってばかりである。どうにかならないものだろうか。蛙は張り付いたままだし。おっと、ウインカーを左にあげるのを忘れてた。おお! ギアもドライブ4のままだ。初心者でもあるまいし、あ、まだ初心者だった。初心者マークは付けてないけど、後一ヶ月くらいあるのね。どうしようもないな。
ナフコの前を通り、唯々アクセルを踏み続ける。七十キロまでスピードを上げ、田んぼに囲まれた道を走るのは、ちょっと気持ちがいい。ちらっと蛙を見て、ドアウインドーを開けたらどうなるかな、といたずら心が湧いてくる。僕は迷わず窓を開けた。十センチほどだったがピクリともしない。度胸すわってるのね、このまま学校に行ってもいいか、と思い窓を閉めると、蛙は初めて動きを見せた。ドアウインドーからドアミラーの付け根に飛び移ったのだ。時速七十キロのジャンプである。怖くないのだろうか。まあ、そこまで思考が働かないんだろうけど。後ろ姿がダンディーである。
デイリーストアの手前でスピードを落とし、更に直進する。信号を抜け少し行くと、上り坂になる。蛙はドアミラーからフロントガラスに移った。白いおなかがちょっと気になる。それにしても一体どこを見ているんだろう。それが知りたい。あ、本当に気になってきた。蛙の視線くらい、雨蛙の視線くらい、と言い聞かせるがもう遅い。一度気になると抑えが効かない性格なのだ。しかし、どうしようもないことに対する諦めも早い。既にどうでもよくなっている。矛盾してるなあ。
踏切に差し掛かり、車のスピードを落とす。止まるか止まらないかのところでアクセルを踏んだ。教習所ではきちんと停車し、窓を開け、左右を確認してから発車したのだが、そんな余裕はない。余裕があってもしない。そんなものである。ここの踏切は渡るときに結構揺れる。蛙落ちるかな、と思っていた矢先にフロントガラスから消えた。やっぱり落ちたか、と、ちょっと淋しい気分にもなったが、すぐにどうでもよくなった。
駕与丁池の横を半分くらい過ぎた辺りで『Der Rhein』が終わった。次は『キス ミー プリーズ』である。この曲は明るい。明るく世間や時代との隔絶を歌う。「For It’s Rock’n Roll Party Tonight/Lady,Dance Dance with your Love/Rock’n Roll Party Tonight/Lady,Dance Dance with your Love」と歌うBメロが好きである。聴かせてあげられないのが残念だ。この後「Kiss me Please」を連呼するが、どうやらそれがCメロらしい。変な感じだがおかしくないのだ。さすがである。これまた聴かせてあげられないのが残念。
信号を横切り、再び踏切に差し掛かる。僕が通る道筋には踏切が多い。全部で八つある。気にしてはいないが。
踏切を渡り、信号で止まる。ここは少し待たなければならない。僕はサイドブレーキを引き、ギアをニュートラルにして前の車のブレーキランプを見ていた。その時、再び右のドアウインドーにぶつかる物体、蛙が姿を現したのだ。ちょっと嬉しい。自分の顔がほころんでいるのが分かった。
交差点を横切り、ひたすら道なりに進む。曲がりくねった道がしばらく続く。蛙は途中で後ろのドアウインドーに移り、しばらく消えた。落ちてはいないという確信めいたものが心にはあった。
『Girls』は打ち込みのダンスナンバーである。ファースト発売後に発表した十二インチシングルに収録されているが、CDになったのは今回が初めてらしい。打ち込みらしい音色や音の並びの中で、ISSAYの歌が浮いて聴こえる。浮遊感覚と言おうか、それだけが独立して聴こえるのだ。これだけ打ち込みに馴染まない男も珍しい。
小学校の横を通り、三つ目の踏切でスピードを落とす。ここも止まりはしない。スピードはぎりぎりまで落とすが、列車が来ていない限りは止まらないだろう。この先二十四号線は、車一台しか通れないような路地になる。少しずつ広くはなっていくが、それでも二台が限界である。県道であるのが不思議だった。工事現場の横を通りすぎたところで右に曲がり、更に少し行ったところで左に曲がる。ここはウインカーも点けない。そして、改めてT字路に差し掛かりウインカーを左にあげる。左右を確認して曲がったときに、蛙が再びフロントガラスに張り付いた。絶対学校まで連れて行く、と決意して、次のT字路を右に曲がった。
『Girls』が終わり、デルジベットの楽曲の中でも一・二を争う名曲、『沈みたい』が始まった。この曲に関しては何も言わずにとりあえず聴けと言っておこう。下手な解説を付けて曲に先入観を持たせたくないからだ。でも、誰も聴かないだろうね。
次は『UNBORN CHILD』である。HALの歪みまくったベースが印象的で、ISSAYの生きることへの不器用さが痛々しいほど伝わる作品である。きらめくような吉田光のギターも、他のバンドではまず聴けないだろう。セカンドアルバム『Electric Moon & More』に収録されている曲である。この完成度の高さは何であろうか。そして、これでも試行錯誤の段階であり、まだ方向性も決まってはいないのだ。バンド・アンサンブルの勝利である。
既に香椎宮前まで来ている。蛙もフロントガラスから右のドアウインドーに移り、白い腹を見せていた。
僕のバイクはぴょんきち号という。計器類とハンドル見て、一つ上の先輩がそう名付けた平成四年式馬力規制前のバリウスである。蛙を邪険にできないのはそういうことからだ。小さい頃におたまじゃくしを掴まえていて、力を入れ過ぎたのか潰してしまったり、父が皮を剥いた蛙でザリガニを釣ったり、従兄弟が飼っていた体長二十センチ超のミドリガメに餌として与え、引き千切られる様を見ていたりということはあったが、口に爆竹を無理やり入れて破裂させたり、肛門からストローで空気を入れてこれまた破裂させたりということはしなかった。あ、大差ないかな。でもあるということにしておいてくれ。僕はそのつもりだから。
参道を抜け、踏切を二つ越える。ベスト電気の前を通り、信号で止まった。この辺りから車が混んでくる。ウインカーを右にあげて欠伸をした。この蛙も何を好き好んで時速七十キロで走る車に張り付いているのだろう。それにしてもタフである。
信号が青になり少し前に出るが、対向車のために一旦止まる。直進してくる車がないのを見計らってアクセルを踏んだ。学校が和白にあるから車線は一番左になるのだが、よく車が停まっていたりするので真ん中の車線を走る。信号を過ぎた辺りでウインカーを点けて車線を変え、そのまま国道四百九十五号線に乗った。
『FLOWERS』この奇麗すぎる秀作は、無駄が何一つない。力強いリズム隊も、抑えぎみのギターも、それらに絡んでくるブラスも、ISSAYの歌のための音でしかない。歌メロ抜きでも奇麗な音楽として聴けるのだが、ISSAYのヴォーカルが入った途端にただの塊と化してしまうのだ。聴いてもらえなければ何を言っても仕方がないのだが、この曲はISSAYの詩と表現力に圧倒されてしまう。
Flowers くるくる踊って咲きほこれ
Flowers きらきら輝きくだけ散れ
この二行の詩がCメロである。本当は全部を載せたいのだが、そんなスペースはないのでやめた。個人的には、名曲『沈みたい』よりも『Flowers』を薦めたい。ISSAYはすごいと僕に思わせた秀作である。
四百九十五号線は唯々直進である。JRの九産大駅前を過ぎてもNOSIDEの前を過ぎてもコスモスというレコード店を過ぎても工事現場を過ぎパチンコ屋を過ぎうどん屋を過ぎ酒屋を過ぎても、右前方に西日本銀行が見えるまでは真っ直ぐなのだ。たとえ混んでいようと信号に何度つかまろうと左手に困っているおばあちゃんがいようと余裕ぶっかまして煙草を吸っている犬がいようとも、真っ直ぐである。この決心は変わらない。あ、でもそんな犬がいたら変わるかな。微妙なところだ。悩むなあ。
この道を通っているとき、ドアウインドーに蛙が張り付いていることを対向車の人が気付いているのか気になった。でもお互い六十キロくらいスピード出してすれ違う訳だから百二十キロくらいに感じるってことは、まず無理だな。うん、気付いてない。気付いたとしても、ゴミか鳥のふんくらいにしか思わないだろうね。うーん、ちょっと惜しい気もする。
『Garden』はのどかな中の透明感、たとえるなら川のせせらぎのような曲である。よくは分からないかも知れないけどそういう曲なのね。
A面はこれで終わる。沈黙が十秒程続いた後、音を立ててB面に変わった。ギターのリフからはいる『Only“You”,Only“Love”』が鳴り出す。ISSAYが初めて歌ったラブソングである。しかし、ここにも個人主義は息づいている。“You”カッコを付けて「あなた」としか呼べないもどかしさがそれである。吉田光がどんなに明るいメロディーを奏でようと、ISSAYの詩には孤独に対する淋しさが付きまとう。「僕はお前にはなれない」と歌ったのは櫻井敦司だが、まさにそれである。そして更に、自分すらも、最も身近な「他人」なのである。
この曲はサードアルバム『DER★ZIBET』に収録されている。ファーストのタイトルにバンド名を付けているのはよく見るが、サードになって付けるのは珍しい。このアルバムで方向性は少し見えてきたのだが、試行錯誤は続いている。九枚目のアルバムを出している今でさえ、試行錯誤は続いていると本人達が言っているのだから続いていて当然である。
『口紅蜃気楼』この曲において、淋しさはほとんど感じられない。嘘のようであるが、ただ明るいだけの曲なのだ。唯一Bメロに願いのようなものが見られるが、「バラ色のBlack Hall 吸いつくしておくれよ/二人が一つになるまで」である。明るい。
西日本銀行を右手に見て左折し、志賀島へと続く道を走る。蛙が後ろのドアウインドーに移った。本当に誰も気付いてないのだろうか。こんな不思議な光景は滅多に見ることできないのに。
『口紅蜃気楼』が終わり、『Pas Seul(一人舞い)』になる。切ない、そして淋しげなフレーズをエレアコだけで奏でる。一分強のソロの後、エレクトリックな音色に変わり、イントロが始まる。「風が吹き抜けて/夏が立ち去り/目の前の君が/悲しく笑う/そんな風に幕は降りて/今は陽炎の中/一人で踊ってる/Pas Seul Pas Seul……I miss “You”/僕は「君」を探すために生まれた/今さらどこへも行けやしないさ/日ざしの中/浮かんで消えた/切ない残像は/僕を追いかける/Pas Seul Pas Seul……I miss “You”」これが詩の全てである。切なさ、淋しさ、悲しさ、それらの言葉では表現し得ない程の孤独。もう、泣くしかない。
最後の踏切を越え、ガソリンスタンドを右手に見て交差点を横切る。蛙は相変わらず後ろのドアウインドーに張り付いている。結局ここまでついて来たのだ。大した蛙である。喫茶店GREENを右前方に認め、ウインカーを右に点け、対向車に注意して曲がった。学校は和白小と和白中の間にある古ぼけた建物である。学校の上のほうに付いている看板と学校の名前が違っていたりもする。専門学校だというのに二ヶ月も夏休みのある怠惰さ、目指している職業に資格制度もないという斬新さ、本当になれるのかどうか不安と絶望が付きまとういいかげんさ。僕はその何でもありという雰囲気が好きだった。
学校の横の空き地に着く。駐車場がないのでいつもそこに停めていた。『Pas Seul(一人舞い)』が終わるのも待たずにエンジンを止め外に出た。遅刻しているのは分かっているから少しくらいは急ぎたかったのだ。ドアを閉めて鍵をかけ、蛙を見る。いつも見ている蛙より可愛く思えた。五十一分と短いドライブではあったが、時速七十キロを体験した蛙はそう多くはいないだろう。僕はこの時速七十キロのジャンプをしたアグレッシブな蛙を三日は忘れないだろう。ほら、いいかげんな性格だから、最低ラインが三日なのね。一生とも言えないじゃない、多分、いつか忘れるし。ここはまあ、無難に三日と、ね。
もう二度と会えないだろうけど、いつか再会する日のために、今は笑顔でさようなら。うーん、詩人。あっ、帰りに踏み潰してしまったりして。あり得ないことじゃないよなあ。ま、いいや、教室に急ごう。ははっ。
※1993年7月に描かれていますので、時間の計算が違うところがあります。ご了承ください。